小泉八雲旧居 (34 画像)
怪談「雪女」「耳なし芳一」でなじみの深い、明治の文豪小泉八雲は1904(明治37)年、東京で亡くなるまでの14年間を日本で過ごし、その間、松江・熊本・神戸・東京と4つの都市に住んだ。松江では1年3ヶ月弱暮らし、その内の約5ヶ月間をこの家で過ごした。八雲が住んでいた当時のままで保存されているのは、現在では松江の小泉八雲旧居だけである。
根岸家は士族で、この家は旧松江藩士の武家屋敷である。家主の根岸干夫(たてお)は維新後、島根各部の郡長を歴任。八雲が松江にいた当時は簸川郡(現在の出雲市)の郡長をしていたためこの家は空いており、庭のある侍の屋敷に住みたいという八雲に貸すこととなった。
八雲が大層気に入った旧居の庭は、根岸干夫の先代、根岸小石の手によって1868(明治元)年に造られたものである。規模こそ小さいものの、この庭は枯山水の観賞式庭園としては高い評価を受けている。
八雲と根岸家の関わりは、干夫の長男磐井が松江中学、旧制五高、東京帝大で八雲に教わった子弟の関係でもあった。東大卒業後、磐井は日本銀行に勤務したが、東大時代の友人上田敏、小山内薫、柳田国男らの勧めもあり、八雲が愛した旧居の保存のために1913(大正2)年に松江に帰り、一部改築されていた家を元通りに復原し、記念館設立などにも力を尽くした。 磐井の没後も、旧居は代々根岸家の人々の手によって、八雲が住んでいたままの姿を保存され現在に至っている。

●塩見縄手

・島根県松江市北堀町315
公式ホームページ

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