岩倉具視幽棲旧宅 (75 画像)
岩倉具視が1862(文久2)年9月から1867(慶応3)年11月までの、5年余り幽居した邸宅。
具視は幕末動乱に際して、公武合体の立場から和宮降嫁に奔走したが、このことが倒幕急進派に憎まれ文久2年、西加茂霊源寺で剃髪し、官職落飾、洛中蟄居を命じられここに幽棲した。
最初は日記にあるように、「終日掃除ノ処古家ニテ実ニ住居ナシ難シ、兎ニ角落涙ノ外ナシ」とあり、六畳、四畳半、三畳の古家を借りたが、その後大工藤吉の家を購入して移り住んだのが、現在の旧邸の北側の瓦葺き平屋建てで、明治35年に改築されるまでは茅葺きだった。
また、廊下続きの南側の茅葺き平屋建ては、1864(元治元)年に具視が増築したものである。玄関、座敷の約60平方米、瓦葺き一棟は居間、勝手などの約74平方米で具視幽棲当時の旧態をしのぶことができる。
この旧邸には明治維新の志士たち、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬らが来訪し、王政復古の密議を行い、維新の大業が達成された。
慶応3年には維新運動の中心となって活躍し、のち明治新政府の右大臣となった。
昭和7年に国の史跡に指定。旧宅の東側にある文庫には維新志士の遺墨を陳列している。庭前には具視の遺髪塚とお手植えの松がある。

・京都府京都市左京区岩倉上蔵町100
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