伊良子清白の家 (14 画像)
伊良子清白(本名・暉造)は明治10年10月4日今の鳥取県河原町曳田に医師の子として生まれた。
1歳にならずで母を失い、父にともなわれて大阪、津へと転居。津中学校を経て、名医32年京都府立医学校を卒業。上京して勤務医として転職しながら北里伝染病研究所や東京外国語学校ドイツ語科に学ぶが、やがて生命保険の診察医になり各地を歴訪。医学校在学中から「文庫」「青年文」に寄稿し、河井酔茗、横瀬夜雨とともに、「文庫派」の三羽ガラスと称されるようになる。
明治39年5月、多くの作品中からわずか18篇を厳選した名詩集「孔雀船」を出版。同時に東京を去って詩筆を折り、島根県浜田の病院に赴任後さらに大分、台湾、京都などでの医業をへて、大正11年に鳥羽小浜の入り海に面した地に診療所を開業し、昭和20年に旧大宮町に疎開するまでの23年間をこの家ですごした。住居兼診療所として使われ、北原白秋や西条八十も訪れている。この家は平成21年3月に大台町から現在地のマリンパークへ移設された。

・三重県鳥羽市鳥羽1
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