六角獄舎跡(平野國臣殉難の地・山脇東洋観臓の地) (7 画像)
●平野國臣殉難の地
幕末尊王攘夷派の指導者平野國臣が処刑された所である。この地はもと「六角獄舎」があったところで安政の大獄以後は多くの政治犯が収容されたので、会所ともいった。
國臣はもと福岡藩士で、尊王攘夷運動に参加して脱藩し、生野の乱に挙兵して捕えられ1864(元治元)年1月17日ここに収容された。ところが同年7月19日長州藩平の入京に端を発した禁門の変(蛤御門の変)によって、京都市中の大半が兵火に見舞われ、その翌日火勢が六角獄舎に迫るや、幕吏は獄中の尊王攘夷派の志士たちを斬った。この時斬られた一人が國臣である。この難にあったものは、國臣のほか、古高俊太郎、長尾郁三郎、水郡善之祐ら30数名にのぼった。
なお、当地は1754(宝暦4)年に医師山脇東洋がわが国で初めて死体解剖を行った所とも言われ、付近には記念碑も建っている。

●山脇東洋観臓の地
1754(宝暦4)年閏2月7日に山脇東洋(名は尚徳・1705~1762)は所司代の官許を得て、この地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった。
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であった。
この記録は5年後に「蔵志」としてまとめられた。
これが実証的な科学精神を医学にとり入れた成果のはじめで、日本の近代医学がこれからめばえるきっかけとなった。

・京都府京都市中京区六角通大宮西入る

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