如己堂(永井隆記念館) (12 画像)
長崎市名誉市民、永井隆医学博士の病室兼書斎。島根県出身の永井は長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻した。当時は結核患者が多く、医療機器も不十分だったことから、放射線を過量に受け、「慢性骨髄性白血病、余命3年」と宣告された。
その2ヶ月後、原爆を被爆し大けがを負って妻までも失ったが、被災者の救護活動に積極的に取り組み、ついには寝たきりとなってしまった。
しかし、科学者としての不屈の研究心とカトリック信徒としての厚い信仰心もあって、病床にありながらも10数冊もの著書を執筆した。
永井はこの建物を「己の如く隣人を愛せよ」との意味から「如己堂(にょこどう)」と名付け、ここで2人の子どもと生活した。そして、ここから世界中の人々に戦争の愚かさと平和の尊さを発信し続け、1951(昭和26)年5月1日、43歳で永眠した。

・長崎県長崎市上野町22-6
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