法華堂跡(源頼朝の墓) (14 画像)
この平場は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡である。
1180(治承4)年平家追討のために挙兵した源頼朝は、同年に鎌倉に入った。1185(元暦2)年に平家を、1189(文治5)年に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、鎌倉を拠点とする武家による全国的な政権の基礎を築いた。以降、江戸時代が終わるまで、約700年間にわたり、武家による政権が続くことになる。
1199(建久10)年に頼朝が53歳で没すると、法華堂は幕府創始者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰を集めた。
鎌倉幕府滅亡後も法華堂は存続したが、17世紀の初頭までには堂舎がなくなり、石造りの墓塔が建てられた。現在の墓域は、1779(安永8)年に薩摩藩主島津重豪(しげひで)によって整備されたものである。

・神奈川県鎌倉市西御門2
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