旧内田家住宅(外交官の家) (80 画像)
内田定槌(さだつち)は、明治政府の外交官として世界各地に飛び活躍した。上海、ソウル、ニューヨークと歴任し、1902(明治35)年36歳の時にはニューヨーク総領事の任についている。以後1924(大正13)年の退官まで、彼の足跡はブラジル、アルゼンチン、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、トルコと9ヶ国に及んだ。
彼の経歴でもっとも長かった任地がニューヨークで、アメリカ生活から大いに影響を受けたことが予想される。
帰国後南米域行きを命じられるが、任地と日本の間を行き来する合間の1910(明治43)年に、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により、東京都渋谷区南平台に旧内田邸が建てられた。定槌45歳の時で、家族は陽子夫人と4人の子どもがいた。
木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、アメリカンヴィクトリアン様式で建てられている。創建時は洋館に付属する和館が付いていたが、昭和47年には取り壊されている。
渋谷は谷が入り組み、坂や斜面の多いまちで、旧内田邸をはじめ明治末の日本人住宅は、こうした斜面をうまく取り込んで屋敷をつくっていた。斜面を入れた広い敷地をとり、門を入ると長いアプローチがあって、見晴らしのよい高台の母屋にいたる、実はこれは江戸時代の大名下屋敷の作り方に通じるものがある。洋風化が進む中、屋敷の作り方は江戸のそれを継承してたのである。
定槌の孫にあたる宮入氏から寄贈をうけ、1997(平成9)年に、横浜市がこの山手イタリア山庭園に移築復原し、同時に国の重要文化財に指定された。

●J.M.ガーディナー
設計者であるアメリカ人ガーディナーは、1880(明治13)年、立教学校の教師として来日し、その後建築家として活躍した興味深い経歴の持ち主である。ミッション系の建築を中心に優れた作品を残し、明治村の日本聖公会京都聖ヨハネ教会堂(国重文)等が今も残っている。旧内田邸は創建以来丁寧に住み続けられ、改造がほとんどなく内装仕上げも非常に良く残っている。また当時の仕様書や契約書の記録が豊富に残され、彼の作風を今に伝える貴重な住宅作品である。

・神奈川県横浜市中区山手町16
公式ホームページ

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