エリスマン邸 (32 画像)
1925(大正14)年から1926(大正15)年にかけて山手町127番地に建設された。建築主はシーベル・ヘグナー商会の支配人で、スイス人のF.エリスマン。建築設計者はチェコ人建築家のA.レーモンドである。
建物は、平屋建て和館付で建築面積約81坪、木造2階建、屋根スレート葺、階上下見板張り、階下竪羽目張りの白亜の洋館であった。階下は居間兼食堂、応接室、サンルーム、厨房などからなり、階上には寝室3室、3階に小屋裏部屋をもつ。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響が細部意匠にみられ、特異な西洋館になっている。
1982(昭和57)年マンション建設のため解体されたが、所有者であった氷川商事の御厚意により部材が横浜市に寄贈され、1990(平成2)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現された。

●エリスマン
スイス人貿易商。1888(明治21)年来日し、横浜有数の外国商館シーベル・ブレンワルト商会の社員となる。一時神戸支店に移るが、1916(大正5)年横浜に戻り、シーベル・ヘグナー商会(Siber.Hegner & Co.)の支配人格として活躍する。1940(昭和15)年死去、山手外人墓地に葬られる。

●レーモンド(Antonin Raymond 1888-1976)
チェコ人建築家。1919(大正8)年東京・帝国ホテルの建設に際し、師F.L.ライトの助手として来日。第二次世界大戦期と再晩年を除いて在日し、前川国男・吉村順三といった日本人建築家を育成するとともに、「現代芸術精神と伝統的日本建築の洗練された結晶である多くの建築物を日本で設計」したことで知られる。
エリスマン邸は、レーモンドが師ライトの下を離れて独立し、米国建築会社(The American Architectural & Engineering Co.)を起こした時代の住宅作品であり、師ライトの影響をとどめながら、近代合理主義精神に基づく作風を確立するに至る過程の一端を窺うことのできる作品にもなっている。

・神奈川県横浜市中区元町1-77-4
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system