長楽館 (243 画像)
長楽館は、日本初の紙巻煙草「サンライス」で財をなした、「たばこ王」と称された明治時代の実業家村井吉兵衛が円山公園の一角に建てた迎賓館兼別荘で、その名称は伊藤博文が宿泊した折に付け、扁額にも記した。皇族や元勲、英国皇太子などの国賓が多数滞在し、「京都の迎賓館」とも呼べる建物であった。
工事は、アメリカ人技師T.M.ガーディナーの設計・監督、清水満之助の施工により、1908(明治42)年6月に竣工した。また室内装飾は、東京の杉田商店、京都の河瀬商店が分担し、壁画は高木誠一の筆になると伝える。
建物は、1階・2階ともに中央の広間を中心としてそのまわりに各室が配され、1階には客間、球戯室(半地下)、書斎、サンルームと食堂が、また2階には喫煙室(中2階)、貴婦人室、美術室、客室3室などが置かれている。なかでも1階客間は、暖炉まわりや壁パネル、天井に植物文様のレリーフを飾るなど、ロココ様式を基調とし、最も華麗で見ごたえのある部屋となっている。一方3階は和室となり、とくに東北の2室は書院造風で、その豪華なつくりと漸新な座敷飾りはみごとである。
建築当初の家具が残っている点も注目され、ロココ様式をはじめそれぞれ部屋に合った様式の家具が配置されていた。ロンドンのメープル(MAPLE)社製など、大半が高級な輸入品で、意匠的にも優れている。
長楽館は、内部の凝った意匠に見るべきところがあり、規模も大きく、明治時代後期における和洋折衷の住宅建築の代表例として価値が高く、家具30点も含めて、昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。

●村井吉兵衛(1864~1926)
1864(元治元)年、京都の煙草商の次男として誕生。9歳で叔父の養子となり煙草の行商を始める。明治初期に、煙草の行商で得たお金を元に煙草の製造に踏み出す。日本初の両切り紙巻き煙草を製造し、明治24年に「サンライズ」と名付けて発売。その後発売された「ヒーロー」は、5年後に年間生産量日本一となる。明治37年に煙草が国家専売制となり、その補償金を元手に、村井銀行、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン等の事業を行い、村井財閥を形成する。

・京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町604
公式ホームページ

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